さとり

あなたの一歩救えますように

殴り書きの弊害

おはようございます、さとりです。

 

私はだいたい1エントリを作成するのに
30分から1時間かかります。

1,000文字以内なら30分程度、
1,200文字を超えるとそれ以上かかってきます。

最近はあまり時間がないので
思いついたことを思いついたままに書き殴って、
見直しも2回程度で早々と投稿しているのですが、

いやー、見返すと読みづらいことこの上なくて仕方ない(笑)

何を言いたいのかが不明瞭で、
チョイスしている単語も句読点の位置もイマイチ。
おまけに誤字も精査しきれていない。

こりゃあかんなと。

 

色んなブログのタイプがありますよね。
日常や体験を綴る系、
知識を共有する系、
アイテムや楽曲、書籍を共有する系…

私のブログは、自分の考えたことを整理するもの。
なのに、文章がまったく整理されていなくてダメですね、最近。

いい文章が書けていないという自分に対する悔しさと、
読み返しても「?」になってしまう残念さ。
時間をかける意味がないですね、これだと。
読んでくださっている方にも正直申し訳ない。

 

いい文章は、
伝えたいことが明瞭で、
文章の前後の繋がりが自然で、誤字脱字がなく、
相手に何かしらの気づきを与えるもの。

このエントリもわりと殴り書いているのですが、
やはり

伝えたいことをはっきりとさせる
(ないなら無理して書かない!)

伝えるために何を伝えるか決める
(説得力をもたせるネタ!)

どういった構成で伝えるか決める
(自然な流れで!)

文字に起こす
(背伸びせず自分らしい言葉で!)

全体を通して誤字脱字、ニュアンス、
矛盾したことがないか確認する
(私はうっかりが多いのでより気をつける!)

何度も読み返す

投稿

 

このプロセスをしっかりと踏まないと、
どうしようもない駄文になるということが分かりました。

よく準備の段階で成功するかどうか決まると言いますが、
ブログという小さな営みでもまったく同じことだなと感じました。

ちょっと自分のことを過信しすぎたというか、
文章を書くという行為を舐め腐っていたというか、
片手間でやるもんじゃないなと思いました。

ということで、これからはもっと
真面目に愚直に自分の中の「伝えたいこと」に
向き合ってから、ブログにしたいと思います。

 

さとり

2023/1/15 お昼前

 

絶対に譲れないことをもつ

おはようございます、さとりです。

 

仕事が始まって、記事を書く時間が作れずにいる今日この頃…

以前の私だったら、
「今日も更新できなかった」と落ち込んで、
「自分にはブログは向いていない」と早々に辞めていたことでしょう(笑)

でも、今回は辞めません。
たとえ1ヶ月、1年と期間が空いてもしまっても、
辞めることは絶対にしません。

今回は「続ける」ではなく、
「辞めない」を最低ラインにしているからです。
この考え方最強だなと思って。
自分が「辞める」って言わない限りにはOKなので(笑)

そもそも、「毎日書かないといけない」
なんて、誰が決めた?って話で。

そうではなく、
「毎日書くと、見てくれる人が増える可能性が高い」
ってだけですよね。

私は、私の頭の中の整理のためにブログを書いていて、
多くの人に見てほしいとは思っていない。
(私のブログを見て、こんな人もいるのか、よかった。と思ってくれたら嬉しいです)

なので、そもそも毎日更新する必要も意義もないんですよね。

「何のためにやりたいのか」

「そのために何をするのか」

この2点はブレちゃいけないですよね。何事においても。

 

ところでタイトルの「絶対に譲れないこと」ですが、
年齢を重ねて多少変化もしましたが、
20歳くらいから変わっていないことが1つだけあります。

その1つが、

 

睡眠時間を死守すること。

 

…えッ?そんなこと?!と思われたでしょうか。

 

私は睡眠を何よりも大事にする人間なのです。

医学的にももちろん重要だと言われていますし、
寝起きや寝る前って1日の気分を左右するので、
ほんっっっとうに重要だと思うんですよね。

いかに快適に眠るか、いかに質の良い睡眠をとるか。

毎日気持ちよく過ごしたいじゃないですか。
これはブログを毎日続けるなんてことよりも
ずっとずっと大事なんです、私の中では。

だから、睡眠時間を削ってまで仕事をしないし、
ブログも書かない、家事もしない、運動もしない。

逆に、睡眠時間を確保しながらこなすには
どうしたらよいか、と考えます。

こうした絶対に譲れない軸があると、
生活がスムーズに回ります。

行動の基準が決まってくるとだいぶ楽です。
毎日の行動が成り行きまかせ、
感情のアップダウンがある中で過ごすと
それだけで疲弊してしまうので。(たまになら良いと思います)

 

私の今の頭の中はこんな感じです。

 

毎日気持ちよく機嫌よく過ごしたい

(そのためには?)

■睡眠時間を確保し、質を高める

■体力/精神のタフさを身につける

■やりたいことだけをやる

(そのためには?)

・毎日8時間を目安に寝る
・寝る前の電子機器の使用はやめる
・寝る前に1日を振り返る
・よく眠れなかった日は原因を考えて対策する
・自分の感覚に素直に従う
・無理しない
・自分の美徳やセンスを信じる
・見返りを求めない
・気を遣いすぎない
・言うだけ言ってみる
・やるだけやってみる
・積極的に人に頼る
・週に1度自分の行動を振り返って次に活かす
・やりたくないことと距離を置く
・それでも避けられないものだけ向き合う

(そのためには?)

 

・・・という感じですね。
どんどん細かくしていって、それが日々の行動基準になっています。

でも、やっぱり守れない日もあります。
それでいいと思っています。人間なので。
ちょっと無理してでも…なんて日は、素直に心に従います。

行動基準を守ることが目的ではなく、
「毎日気持ちよく機嫌よく過ごす」こっちが目的なので。

 

絶対に譲れないこと=自分の軸
ができると、本当に人のことを気にしなくなるし、
穏やかに過ごせるのでオススメです。

 

さとり

2023/1/14 お昼前

 

哲学を学ぶことについて

おはようございます、さとりです。

 

昨日ある本を読んだのですが、
世界のエリートたちは哲学を基礎として
学んでいる人が多いそうです。

日本ではあまり馴染みがないですよね、哲学。
むしろ「変わり者」「就職先は?」みたいな印象。

でも、世界は違うんですって。

また、著者は「詩」を題材にした研修をしているのだとか。
そこからエリートたちに必要な感性を磨いていくのだとか。

私が好きなブロガーも、よく展覧会や美術展に出掛けているそうです。

…実は私も数年前から通信大学に通っています、哲学専攻の。
理由は、ずっと興味があったから。ただそれだけなのですが。

高校の授業の「倫理」が大好きでしたし、

なぜ勉強するのだろう、とか、(ヤンキー的な意味ではないです)
私はなんのために生まれてきたのだろう、とか、
人がいなくなったら地球はどうなるだろう、とか、
死ぬってどういうこと、とか

結構本気で考えちゃう子どもだったんですよね。

なので、それを思いっきり(?)できる哲学にすごく憧れがありました。

現役のときは全然違う分野に進んだのですが、
おとなになった今、やりたいことをやろうと思って、
哲学を学びはじめたんですね。

 

著者も言っていたのですが、哲学には3つの側面があって、

1つが、哲学者が生み出したコンテンツそのもの

1つが、そのコンテンツを生み出すに至った経緯

1つが、当時の哲学者のスタンス・マインド・人生観

 

この3つのうち、コンテンツについては、
現段階で完全に否定されているものもあるので、
私たちが学ぶべきは下2つなんですね。

 

私はエリートになりたいとは別に思っていないのですが、
哲学はみんな勉強した方がいいんじゃないかなって思います。

哲学の根本って、
「なんで?」「本当にそうなの?」っていう疑う気持ちです。

これがあるから人類は発達してきましたし、
これをなくして人間とは呼べない気がします。

人間にしかできないことだと思うんですよね。

だから当時「なんとなく興味があった」といきなり始めた哲学ですが、
間違っていなかった、やってよかったな、と思いました。

別に大それたことはしなくていいと思います。
日常にある風景を見渡して、
常識と言われているものすべてに
「本当にそう?」と一度疑ってみるだけでも
立派な哲学者だと私は思います。

それに加えて、哲学を体系立てて勉強すると、

こういう時代背景で、
こういう制約があって、
彼はこういうことに疑問をもったから、
こう考えたんだろうな。

ということが理解できるようになります。

そうすると、

もし自分だったらどう考えるかな?
今の時代だったらどうかな?
…なんて考えをふくらませることができたり。

そうすると、生きる上でのヒントや
現状を打開するきっかけになったりする。

哲学するという姿勢そのものが人生のパートナーになる。

 

そんな気がしています。

 

さとり

20221/13 朝